上高地・新村橋の猿にみる行動学 

2005年5月5日
KSK布田 仁

  平成一七年春合宿で出会った猿の行動が面白く、我々山岳会のあるべき行動、特に組織行動を考えるとき参考になりそうでした。
その行動の様子をまとめて見ました。

天候に恵まれた空 前穂高の春山合宿は天候に恵まれ、田中さん、斉藤さん、布田の3名は新宿から高速夜行バスで入山し沢渡からは低公害バスに乗換上高地まで入りました。沢渡からの道路脇にほつんと一匹のニホンカモシカが見えました。今回の合宿でこのニホンカモシカには一回しか出会いませんでしたが二ホン猿には何度か出会いました。登りでは明神までの木立に四、五匹の猿が登って木の芽を食べていました。上高地には何度か過去に入山しましたが猿に遭遇したのは今回が初めてと思います。二日目涸沢から下山し奥又白沢出合に幕営していたテント場に向かおうと新村橋まできたところで事件が起きました。
  先に下山していた重森さんがサブザックを持って徳沢園まで、水とビールの買い出しとのことで新村橋のたもとで偶然出合ったのです。重森さんとは朝方涸沢ヒュッテで出合っており、彼だけ先に下山していました。新村橋を渡り終える数メートルのところで立ち話を三名ではじめました。すれ違いになってしまった佐藤夫妻の様子などを聞いている内に梓川の河原に猿がのっし、のっしと歩いている姿が目に入ってきました。

  なにかいやな予感がします。重森さんは徳沢園へ行き我々2名は橋の対岸に渡ろうと歩き始めると目の前に大きな猿が橋の真ん中に出て来ます。吊り橋のワイヤを支える2本の橋柱に隠れていた猿が威嚇してくるのです。真っ赤な顔とふさふさの冬毛の猿は近くで見ると如何にも凶暴そうです。田中さんのサングラス姿の厳つい風貌にも動じません。持っているピッケルで吊り橋のワイヤを叩いて音を出してみても橋のたもとを占拠したままです。こ れで新村橋を渡ることが出来なくなってしまいました。左岸に戻り様子をみても一向に逃げ出そうとしません。それどころか対岸の猿の数が増えてきているようです。この時期観光客やハイカー、 登山者など左岸の林道を歩いてこの場所で一休みをされる方も多くおり人通りが途絶えません。
  猿たちは二匹のサブリーダクラスの猿が橋柱の下を固め、周りの木の上から十五メートル程の橋柱上部に乗り移った監視役、生まれたばかりの小猿を抱えたメス猿、元気そうな若手と十数匹が対岸にあつまっておりました。ときどき橋に近づくメス猿をサブリーダクラスの猿が威嚇し追い払っています。上流から集まってきており下流に向かうつもりと思いしばらく待ちましたが一向に去る様子がありません。
  一〇分以上人間と猿との新村橋を挟んでのにらみ合いです。橋を一気に走って群れの真ん中を強行突破しようとも思いますが、 人間が渡り始めようとすると、吊り橋の真ん中にすーっと隠れていたサブリーダクラスのでかい猿が現れます。
  林道を歩く登山者、観光客で新村橋で休みをとる人はあまり多くないのですが、徳沢園を前に遅れたメンバを待ったり、徳沢園で着込んだ上着をザックにしまうなどで休む人が結構います。猿に気がつかず行ってしまう人、奥又白の写真を撮る人などがとぎれたとき、猿が動き始めた。
  吊り橋の両側に張られたワイヤを一匹の猿がこちら側へ向かってゆっくり、ゆっくり歩き始めた。川からの風に冬毛をなびかせ、正面の我々を警戒しながらも堂々と歩いてくる。橋の中央くらいまでくると少しスピードを上げ一気に渡り終えた。それを待っていたかのように対岸から猿が次々とワイヤを渡り始めました。

小猿
小猿は可愛い!

  ここで初めて猿が橋を渡りたかったのだと知ることになりました。吊り橋の真ん中を歩き中央付近でワイヤに渡る猿、腹に子猿を抱えた母猿らはワイヤを次々と渡りはじめるとと対岸の林から次々と猿がまた現れてきました。渡り終えたサブリーダクラスの一匹はこちら側に渡り終えると橋柱の上に登り、渡る仲間の猿を見張っています。一度渡り始めると人間の動きには動ぜず統率のとれた行動となって渡ってくる。一匹、一匹の動作、行動は橋の途中で毛繕いしたり、渡り終えた木の若葉を食べているが全体を通してみると実にまとまった行動に私には写りました。ほとんどの猿が渡り終えたのは徳沢園にビールを買い出しに行った重森さんが新村橋に戻ってきた時のことで、三〇分近く経ってのことでした。ほとんどの猿が渡り終えると熊笹の中の猿は「キユー」という声を発しました。最後の合図のように聞こえました。

  さて、猿の行動を川崎山岳会の春合宿に参加したメンバーの比較で眺めると、自立した行動、共通の目的、役割分担で違いがありそうです。三〇分間のあいだ橋を渡るため猿各自がとった行動は、一見独自に動いているようでありますが、橋を渡るという目的を意識し一言も声を発せず、役割分担をわきまえた行動をしていたように思えました。川崎山岳会の行動はリーダやサブリーダに任せた計画に我が身を委ね、その時点、その場での行動は全て指示を待ち、せっかく山に入ったのに会社、家族が気になり、目的すらはっきりしない行動になっているのではと考えされる場面が多いと思えます。猿たちが声を発せずどのような手段でコミュニケーションをとっていたのか分かりませんが、感心するほど統率のとれた行動のようでした。

  食物を食べるための行動と所詮趣味、スポーツの違いと言われるとその通りです。しかし、危険と背中合わせの山岳スポーツは ルールが明文化されたほかのスポーツと違い、コートの大きさ、時間の制約、道具の形状など定められたルールは無く、自分自身がきめるルールによって行動します。ルールも自然の天候や積雪の状況で次々変更になり、計画段階で決めたルールも大きく変わることが常です。山のルールは「死なないこと」と言っても良いと思います。生きることを死なないことと置き換えると猿たちの行動を山岳会にもと思ってしまうことを納得できると思います。

  猿のようなクライミング技術、身のこなしも真似したいと思いますが到底及びません。しかし猿の行動を真似することは出来そうです。猿まねと言われようが学ぶべきことは参考にしていくべきでしょう。上高地の猿に負けないよう頑張りましょう。

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